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zoom RSS 公衆道徳という死語

<<   作成日時 : 2006/07/09 23:38   >>

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私の住んでいるところは外国人居住者が増えてきて、周りの人たちの会話が意味不明になっている。笑ってこちらを見ながら話をしているのが自分たちだけの会話なのか、私のことを見て笑っているのか理解できないので心穏やかじゃないときもあったりして精神衛生上非常によくないのだ。それだけではなくカップルが駐車場やエレベーターなどで白昼ラブシーンを展開されると目にした私がドギマギしてしまう。それと同じことを日本人の高校生もやるようになってきた。私のほうが恥ずかしいのである。最近は若い人を中心に、日本人も羞恥心がどんどん希薄になっているように思う。モラルに欠けた事を平気でやったり、昔だったら恥ずかしくて人前で言えなかった事や出来なかった事を、平気で言ったりやったりしている。
 元々羞恥心とは、自分以外の視線を気にすることだと思う。それは、肉親の視線であり、友達の視線であり、周りの人の視線である。それらの視線を意識することで、自分の行いを客観視することが出来たのじゃないだろうか?
 昔は他人に迷惑をかける自分勝手な行動は、即コミュニティからの排除を意味し、死活問題だった。それが今では、他人と関わらなくても、誰とお付き合いすることがなくても金さえあれば、暮らせるようになってしまった。隣に誰が住んでいようと関係ない。もう他人にどう思われようが、自分のやりたいようにやっても、何の障害も無く生きていける。便利な現代社会が人々から羞恥心を奪ったのだろうか。そして、羞恥心のない人々が増えた社会からは、「安全」まで消え去ろうとしている。自分の子供たちとなんの不安もなく同居しているお父さん、お母さんはどのくらいいますかね?最近感じたおやじのつぶやき でした。(一部誰かの文章引用しました)







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